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人間の限界とAIの進化: シンギュラリティの先へ

先日SNSをながら聞きしていると「シンギュラリティ」なる言葉が耳に残った。

また「シン」か。最近映画だけでなく「シン・〇〇」を色んな媒体で見聞きする気がする。今回はシンギュラリティなる言葉とそれについて思うことを書いてみた。

シンギュラリティとは

まずは気になった「シンギュラリティ」と言う言葉について調べてみた。

シンギュラリティーとはAI知能が人間の脳を超え逆転する時を言うようだ。

少し前まで

「さすがにそんなこと自分が生きている間には起きないよね」

と思っていた。

しかし、チャットGPTはじめ生成AIがするすると社会に入り込んできて、試しに使ってもみて、

「遠くない未来でこれはあるかもしれない」

と言う思いに変わってきた。もうSF映画の世界の出来事ではなくなってきた。

2029年には人工知能の賢さが人間を超え、2045年にはシンギュラリティに到達すると予測されている。

シンギュラリティと言う言葉の生みの親は、アメリカの発明家であり人工知能研究の世界的権威であるレイ・カーツワイル氏だそうで、彼は2005年にこれを提唱ている。

今より20年近く前から言っているのだからすごい。

 

シンギュラリティ(Singularity)により人間の生活は大きく変わると言う。

それはもう今の私たちにしてみれば想像に難くない。

あらゆる金融、医療、行政などあらゆるサービスがAIにより代替えされ、より正確に、スピーディーに対応してくれるだろう。

サービスだけでなく製造現場においても人の嫌がる仕事、面倒な反復的な仕事も、マシンとつながりすでにAIが代替えしつつある。

そして皮肉にも仕事が奪われていく。

会社は人間を雇う方が色々と厄介でリスク、高コストだと気づきつつある。

それでも「人間がいなきゃできないことでしょ!!」を働いている側は思っている。

 

事実、現段階ではAIを人間が支配している側なのは間違いない。

シンギュラリティに到達するとAIが人間を支配する側になるのだろうか。

AIが意思を持てば、巧妙なフェイクニュースや様々な端末の制御をコントロールし、人間を支配する日が来るかもしれない。

 

ではシンギュラリティーの人間の脳を超えるとは一体何を意味するのだろう。

それは自ら考えて動く、判断すると言うことなのだろうか。

主体的で想像的な思考を持つと言うことだろうか。

仮にそうであると仮定した場合、「主体的に考えて動く」はどのレベルを基準にするのだろう。

人間にも主体的に動ける人とそうでない人がいる。

仕事もクリエイティブなことが得意な人とそうでない人がいる。

育った環境や見てきたこと、聞いたこと、学んだことで人の能力や思想は皆違う。

個性というやつだ。

人間のような「曖昧さ」をAIが持つということなのだろうか。

それとももっと単純に幼児以下レベルの思考までの到達点を指すのだろうか。

私はITに詳しくないのですでにこのレベル感についてはすでに定義づけされているのかもしれないが、シンギュラリティが来るとして、それはいい未来も描ける反面、怖い未来も感じざるを得ない。

 

ところで、シンギュラリティと言う言葉を聞いた時、「シン・ギュラリティ」と私の頭の中では変換していた。

『シン・ゴジラ』『シン・エヴァンゲリオン劇場版』『シン・ウルトラマン』『シン・仮面ライダー』の庵野秀明氏のシンを使った作品シリーズから『シン・〇〇』が世間に浸透してここ数年よくシンを冠にした言葉を見かけたからだ。

sjhu.jp

そう思いながら「シン」について少し考えを遊ばせてみた。

新大阪、新横浜、新名古屋・・・新がつく駅名はたくさんある。

もはや新でもないくらい昔から。

そもそも「新」がつく駅ってどれだけあるんだろうと気になった。

そう言うことを調べれている方はいるものですね。ありました。

はじめに - 新がつく駅地図手帖

こういうの調べられている方は本当にすごいと思う。

このHPによると現役で326駅だそう。

想像以上の数にびっくりした。

「新」のつく駅がもはや新でないことも面白くて笑えた。

ちなみに「シン・ゴジラ」のシンには「震」「神」「真」の意味が重ねられているのだとか。しかも「シン」を「新」にしないことで逆の印象の古さも感じさせない。さすが庵野氏だとこちらも感心させられる。

 

このように人の思考には遊びがある。

想像力もおおむね下らなく、取るに足らない。

突拍子もない方向へ興味を示すことがある。

だけど逆にそうであるからこそ面白い。

シンギュラリティとはこういう人間の思考も含めてAIが人間の脳を超えると言うことを言うのだろうか。

 

私個人としては人間は馬鹿であってこそ可愛く、だからこそ面白い。

これからの社会、そんなにAIに頼って便利を追求しなくても、分野においてはそこそこで満足することも大切ではないだろうか。

なので人間は人間、AIはAIであってほしい。

働くこと、

色んな人間と付き合っていくこと、面倒なことだらけで疲れることも、イライラすることもあるけど、

そこから逃げちゃダメなんだ。

 

本日もお読みいただきましてありがとうございました。