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人生は今の連続、「今」の捉え方、行動が変われば未来は変わる。 そんな「気づき」になれる雑記ブログを書いています。

エンゲージメントは時に疲れる、会社外に働きがいがある。でもそれでいいんだよね。

人はそれぞれに働く理由も意味も違う。

みんながみんな会社にエンゲージメントだとか働きがいを求めているわけではない。

なのに会社が社内や仕事での「働きがい」を求めたり、逆に社員のモチベーションを気にしすぎたりするのはお互いに疲れるだけではないだろうか。

そもそも会社の求めるエンゲージメントってさ、新婚夫婦が相手に求めがちな愛の形の上の行動みたいなものなのか、熟年夫婦のような言わずもがな的な関係性なのかどっち!?

今回は「従業員エンゲージメント」をテーマに少し投稿したいなと思います。

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油屋は会社としてはエンゲージメントのない会社なの??

千と千尋の神隠し私はこの映画がとても大好きです。

第75回アカデミー賞にて長編アニメーション賞を受賞し、日本国内で歴代興行収入1位を獲得した作品としても有名なので多くの方が一度は観られたことがあるのではないかと思います。

私はこの映画を観ると見るたびに色んな角度から心を掴まれるのです。

なのでテレビで再放送していたりすると何度も見てしまいます。

まさに映画の主題歌でもある「いつも何度でも」です。

さて、エンゲージメントの話題でなぜこの映画の話を持ち出したかと言いますと、この映画の主の舞台となる油屋という銭湯旅館でのシーンがとても今求められる従業員エンゲージメントに大きなヒントを与えてくれると感じたからです。

およそ25年ほど前の日本の社会は長い間、終身雇用・年功序列を基本として成り立ってきました。

さらに 2004年の派遣法の法改正により、今まで禁止業務として定められていた「製造業務」に関する派遣が、1年の期限付きで認められるようになりました。

今が2024年、千と千尋の神隠しが公開されたのが2001年です。

まさにその昔の日本の雇用体制の縮図のような社会や会社を面白おかしく映し出しているのが「油屋」です。

今の若者からすると「働かないものは豚や石炭にしてしまう」という台詞やパワハラ、セクハラとハラスメントだらけの油屋のシーンは面白く新鮮に映るかも知れませんね。

 

その後20年の間に働き方に対する価値観が問われ続けて変化し続けています。

現代までそんな社会から色々な働き方の改革がなされてきました。

成果主義的な要素を取り入れる企業が増えていきました。

ある意味シビアに評価主義も強くになりましたが、働く側の自由や主張も尊重されるようになってきました。

会社と従業員の関係性の変化です。

一方、旧態依然の思考を潜在的に変えられてないまま、仕組みや評価方法だけを表面的に取り入れ、そんな感じで経営しているように見せかけた本質は変わらないカオスな企業もたくさん増えました。

もしかしたら会社と社員のミスマッチの増えた要因なのかもしれません。

 

社会がこの20年で変わりましたので当然、働く人の会社に対する意識も変わることになりホワイトだのブラックだの社畜などの言葉も生まれました。

待遇や環境を求めて転職することに、以前のような抵抗感がなくなり、優秀な人材ほど、上昇志向が強く、キャリアアップやスキルアップに関心を持ち人材の流動が増加しています。

その結果、多くの企業が人材の流出に悩むようになりました。

また、少子高齢化の進展と人口減少など採用の難しさは増し、人材確保を最優先課題とする企業が増えています。

本質的に変わっていないカオスな企業は特にその人材流出が激しくなり、まずいと焦り始めてきました。

それで「エンゲージメント」だとか「心理的安全」だとかに関心が高まりつつあります。

 

エンゲージメントでは個人の成長や働きがいを高めることで組織の価値が高まる、また組織の成長が個人の成長や働きがいを高めることにつながる。

このような相互ハッピーな状態を作り出せば、人も辞めないし最高だねってことです。

 

なるほどなるほどそうだね、そうしよう。

なんですが、これはそう簡単じゃないです。

エンゲージメントなんて下手に主張したら余計に上手くいかないと私は思います。

なので「エンゲージメントを高める!!」をあまり軽々しく言うと逆効果になりますよと経営者の方には言いたいです。

特にガバナンスの弱い企業は諸刃の剣です。

 

エンゲージメントのあり方について考えさせられるシーンが千と千尋の神隠しの映画の中にありました。

主人公の千尋が働くことになった「油屋」での主人公の千尋を面倒見てくれるりんという少女のやりとりのセリフです。

仕事を終え、二人饅頭を頬張りくつろぎながら、

「俺いつかあの街に行くんだ。こんなとこ絶対にやめてやる」

と言います。

よくある会社の愚痴だなぐらいに思えるかもしれません。

でも私はこのセリフが結構意味深いなと思っています。

りんは面倒見もよく、リーダーシップ性もあり、機転も効くし、文句言いながらも言われた事きちんとこなす、いわば仕事のできる社員です。

早くから油屋に勤め、人脈も作り、働く中で成長してきたことが感じ取れます。

そんな彼女の言葉です。

これを「そりゃ、役職や給料への評価がない会社だからそんなこと考えるんだよ」と言い切れますか?

「こんな社畜なような扱いのブラック企業ならそりゃそうでしょ」と言い切れますか?

りんは他の従業員とも信頼感のある会話をいくつもしています。

上司や経営者である油婆婆は彼女をしっかり承認して任せている、人として対等で向き合ってもいる関係性もまたいくつも垣間見えます。

私が思うのはりんにとっての「働きがい」が会社の外にあるだけのことだと思います。

でもこれってダメじゃないですよね。

りんはしっかり仕事はしてますし、成果も出してますし。会社の愚痴は言うけどその程度は誰だって同じ、組織に影響を与えるほどのインフォーマルな集団を作っている訳でもない。

「働きがい」=「社内の仕事の働きがい」とは違うだけです。

それをも受け入れるのがエンゲージメントだと思っています。

しかしこれを一緒にしてエンゲージメントを唱えている会社が多いように感じています。

「この会社でやりたいことがあるから働いているんだろ」前提でエンゲージメントをなんとかしようとしても上手く行かない。

それってどっかで個人の成長や働きがいを高めることで組織の価値が高まるでなく会社の成長が主語になっていたり、組織の成長が個人の成長や働きがいを高めることにつながるの働きがいがやりがいとイコール当然に捉えてしまっていたりしませんか。

他の例えで言えば、

「俺のこと好きで結婚したんだろ」「私のこと好きで結婚したんだから」を前提では結婚生活が上手くいかなくなるのと同じです。

上手くいっている夫婦にはまさにエンゲージメントがありますが、それって相手にお互「してあげる」「してもらう」など提供されることを前提ではなく「承認」や「尊重」が中心にありますよね。

 

私は油屋は働き方改革が取り入れられる前の日本の企業スタイルですが、エンゲージメントはしっかりある会社に思えます。

それでもきっと映画ではそのシーンが描かれていないので想像の域ですが、りんは湯屋をいつか辞めるとも感じています。

 

エンゲージメントなんてほっておいていいと言っているのでは決してありません。

エンゲージメントを高めることは会社の重要な経営課題の一つだと思います。

特に中小企業にとってはこれからそれがまさに企業存続に影響するとも思っています。

しかし高らかと言葉だけPRしたり、あるよ、やるよと与えている感を出さないようにした方がいいように思います。

あまりそのことばかりお互い求め合っても疲れますし、そもそもエンゲージメントはお互い求めるものではなく、感じるものだと思いますので。

一つの考え方として何かの「気づき」になれば幸いです。

 

本日もお読み頂きましてありがとうございました