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人生は今の連続、「今」の捉え方、行動が変われば未来は変わる。 そんな「気づき」になれる雑記ブログを書いています。

スタバでマチネの終わりにを読みふと思う

11月1日より福山雅治と石田ゆり子が主演で映画化されて話題の「マチネの終わりに」。

天才クラッシックギタリストと国際ジャーナリストの40代という人生の暗い森に出会った二人の切なすぎる恋の行方を軸に描かれる恋愛小説。

ふとしたきっかけで久しぶりに小説を読んでみたくなって手にとりました。

スターバックスで読む「マチネの終わりに」

まだ2章までしか読んでいない私ですが、すごく惹きつけられています。

そして小説を読みながらふと思ったことを今日は綴りたいと思います。

マチネの終わりにをスタバで読む

マチネの終わりに

恋愛小説なんて何年ぶりだろう。

最近はめっきり自己啓発の本や勉強の本ばかりを読んでいた気がする。

思い返すと江國香織さんは結構好きで一時期よく読んだ。

村上春樹さんも好きだ。

私の読書はとても断片的で読み始めると転がり出したように読みあさり、そしてその勢いが収まるとめっきり読まなくなる。

熱狂的とも言えるし飽き性でもある。

 

そして変わった癖がある。

自分勝手に、

私は本に隠された暗号のようなメッセージを感じ取ったりすることに興じる。

ヒエログリフの自己解釈のようなもので、その解釈は本当の意図とは遠くかけ離れたものであることも多いのかも知れない。

それでもそうだそうに違いないとひとりごちる。

そしてそれを無性に伝えたくなることがある。

多くの場合、それに共感されることは少ない。

 

ネタバレにはならないと思うけど・・・ふと思ったこと

「マチネの終わりに」をまだ読み始めたばかり。

2章半ばまで読んだところでふと思ったことがある。

マチネ

「マチネ」とはフランス語で、朝・午前のこと。

対義語は夕方、日が暮れた後のソワレ。

舞台興業、オーケストラの公演などでよく使用される言葉。

劇場では昼公演をマチネ、夜公演をソワレと呼ぶ。

 つまりマチネの終わりに、ということは主人公の天才クラッシックギタリストのマチネ公演の終わりに・・・

なんてことは誰だって期待と想像をすることだと思います。

でも私は気づいてしまったんです。

 

主人公はお互いに40代、そこからの数年間の話。

40代、それはかなり繊細な年齢。

ユングは人生を太陽の運行になぞって考え、40歳から50歳の頃をこれを「人生の正午」と表現しています。

成長期、青年期から中年期に差しかかる頃、正午になります。

太陽が子午線を通過する時刻、真上にきます。

真上まで昇ってきた太陽は、正午を境に沈んで行きます。ここで方向が真逆になる。

中年期からは暮れていく方向へと向かい始めます。

ただし、人によって何歳で『正午』を迎えるかわからないのです。

そして、これまでの生き方、やり方では立ちいかなくなる。

生き方の転換を迫られるのが正午、それを『中年の危機』と呼びます。

中年期に差し掛かった時、

人はこのままでいいのかと生き方についての葛藤が始まります。

この第二の思春期とも言える人生の転換点が『中年の危機』です。

 

そうです。

主人公の二人はまさに「中年の危機」、人生の正午から夕刻へ向かって時を歩んでいきます。

それはまるでマチネ公演のように、始まりを迎え終焉へと進む。

そのマチネの終わりに、、、、二人の結論がでる。

 

まだこの小説は読み終えていません。

しかし私はふと思ったのです。

この物語は人生の正午を歩む話をマチネになぞらえて表現しているのではないだろうかと。

そう思うと、物憂さも、切なさも、繊細なほどにシャープにそして淡く感じられるようになりました。

 

これは私の読書の癖。

自己解釈のヒエログリフです。

 

本日もお読み頂きましてありがとうございました。

 

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