
セルフィッシュという言葉には、
どこか強さや自己主張のイメージがある。
自分の欲をはっきり言うこと。
周りに合わせすぎないこと。
自分を優先すること。
以前の僕も、セルフィッシュとはそういうものだと思っていた。
だからどこかで、
「それはまだ自分には早い」
「もっと強くなってから」
そんな距離の取り方をしていた気がする。
でも最近、セルフィッシュに対する感覚が、少しずつ変わってきた。
それは何かを決断したからでも、生き方を大きく変えたからでもない。
ただ、ある瞬間に、心の奥が静かになった。
その日は特別な出来事があったわけではない。
仕事も日常も、いつも通りだった。
でもふとした拍子に、自分の中で鳴り続けていた音が、少しだけ下がった感覚があった。
・もっと役に立たなきゃ
・ちゃんとしていなきゃ
・期待に応えなきゃ
・分かってもらわなきゃ
そうした内側の声が、消えたわけではない。
ただ、前に出てこなくなった。
主張しなくてもいい。
説明しなくてもいい。
評価されなくてもいい。
そう言い聞かせたわけでもない。
ただ、
「しなくても、今は大丈夫だな」
そんな静けさがあった。
不思議だったのは、その静けさと一緒に、
満たされた感覚があったことだ。
何かを手に入れたわけじゃない。
認められたわけでも、
安心させてもらったわけでもない。
むしろ逆で、
何かを手放した感覚に近かった。
・愛されようとする気持ち
・役に立たなければという焦り
・無条件でいなければというプレッシャー
それらが、一時的に、脇に置かれていた。
そのとき初めて、
「ああ、セルフィッシュって、こういうことなのかもしれない」
と思った。
セルフィッシュとは、自分勝手になることではない。
そして、利他を否定することでもない。
むしろセルフィッシュは、
利他のその先にある居心地のいいポジション、そんな「場所」だと
今は感じている。
そこにいると、
愛されたいと思わなくても、愛される。
誰かのために尽くしていなくても、
役に立っていなくても、
無条件の愛でいなければならない
というプレッシャーもない。
あるがままでいるのに、関係性が壊れない。
むしろ、
力を抜いた分だけ、
自然なつながりが残っている。
セルフィッシュとは、そんな場所なのかもしれない。
思い返してみると、
僕たちはずっと、
何かを足し続けて生きてきた。
もっと優しく。
もっと我慢して。
もっと成長して。
もっと役に立って。
それは社会で生きるために、必要なことでもあった。
でもその過程で、
「足し続けないと価値がない」
そんな前提が、
いつの間にか心の奥に残っていた気がする。
だから、
足すのをやめたときに不安が出てくる。
何もしなかったら、
見放されるんじゃないか。
愛されなくなるんじゃないか。
その不安が、
少しだけ静まった瞬間。
「何も証明していない自分」が、
そのまま、そこにいられた。
それは安心というより、自然な感じだった。
力を抜いたというより、
力を入れ続けていたことに
気づいた、に近い。
セルフィッシュとは、
何かを勝ち取った状態ではない。
利他をやめたら
孤独になる場所でもない。
利他の先に、ある空間。
愛されたいと思わなくても、
愛が残っていると体で分かる場所。
今は、その場所に止まれる時間が増えている。
また明日には、
焦りも、期待も、
戻ってくるかもしれない。
それでもいい。
一度でも
その居心地を知ってしまえば、
その場所が「ある」ということは、
もう分かっている。
セルフィッシュとは、
利他の先にある、
自分がちゃんと存在していられる場所。
ハッピーライフレインボーのセッションでそれを見つけませんか。
そこはいつも心に虹のかかった気持ちになれる場所です。
本日もお読みいただきましてありがとうございました。