Write a diary at Starbucks

コーヒーが苦手だけどスターバックスが大好、Macを前につれづれなるままに心にうつりゆくよしなしことをかき綴るブログ

薔薇が咲いたので、気まぐれに戻ってきました

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ピエールドロンサール

1月の末にプツンと糸が切れてしまい、それ以降ずっとブログを書くことをやめてしまってました。

特に大きな理由があるわけではありません。

単に書くこと、発信することに全く持って興味を感じられなくなったのです。

もしも、少なからず私のブログを暇つぶしとしてご愛読頂いていた読者の方がいらっしゃいましたらごめんなさい。

そしてまたこうしてお読み頂いていること、ありがとうございます。

 

あえて理由を述べるとすると、

勝手ながら熱しやすく冷めやすい私。

何事も、のめり込んで、ある時急にその興味を失うのです。

昔からそう、今でもそう。

親も、先生も、友人もそんな私に苦言を呈することもありました。

それに「継続」「やり抜く」ってことが人生で何より大事なんだと言う言葉は人生で度々出会う。

むしろ自分では偉そうに「継続」「やり抜く」なんてことを言っているくらいなのですが、何しろ急にその物事が私の前で色あせるのです。

 

春先にぐんぐんと芽を伸ばし、何かを期待させる柔らかな蕾をつけ、

一気に美しい花を咲かせ、はらはらと花びらを散らす。

 

例えるならまるで薔薇のようなものかもしれません。

困ったものです。

 

今嘘をつきました。

正直あまり困ってません。

この性格でもそこまで困ることにはなりません。

 

飽き性なのですが、手前味噌ですが根は真面目な性格な一面もあるのです。

なので、なんと言うか、長い長い時間軸で言うと軸はさほどブレない人生です。

 

それと「何をすべきか」、「今何が必要か」を直感的に捉える感覚と、これは「失ってはいけない」、「見過ごしてはならない」と言う感覚にはちょっとだけ敏感なのだろうと思います。

なので自分の中で本当に失ってはいけない物はなくさないようにうまい具合に生きているのかもしれません。

もちろん自分の意思とは別に失ってしまう物はたくさんありますが・・・

 

と言うことで、

自分ではこれはウイークポイントだと感じているものの、もうこれは直す直さないのレベルではなく、一つの自分のアイデンティティーとして一生付き合っていくしかないと捉えている一つの個性と思い共存しています。

 

昔より進歩したことは「格好悪い」と言う恥じらいに鈍感になったことです。

今までは辞めてしまった、逃げてしまった自分に他者の目を気にしてもう一度リスタートすることを恥ずかしくてできませんでした。

一度枯れてしまえばもう終わり。

そんな思いでした。

 

でも大人になるにつれ、自分の長い時間軸の中で再び春がやってきて蕾をつけたくなったら、また誰かに見られる花を堂々と咲かせてみようと思えるようになりました。

自分の花は自分が咲かせない時に咲けばいいし、何度でも同じ花を咲かせてもいいんだなと。

 

人生の興味は結局同じ軌道を描いているものだなと、最近つくづく思う。

だから頑張って新しい趣味を作っても、結局は合うものは戻り、合わない物は合わない。

問題は辞めてしまったことを再び始めることの恥じらいを捨てられるか。

だって趣味は誰かに共感はしてもらえると幸せだけど、誰かに評価されるためにする物ではないですよね。

 

と言うことで、気まぐれに私のブログへの思いも蕾をつけましたので、またしばらく??

徒然丸ままに書きたいと思います。

 

これからもあらためて、よろしくお願いします。